There are few accounts of wine consumption in 17th Persia. There are excerpts, though, chronicled by French traveler and jeweler Jean Chardin, who published "Travels In Persia (1673-1677)" , about his adventures in Persia and The Near East.
What is clear, however, is the Persians loved the grape and indulged heavily.
Two of my favorite episodes follow.
One Persian dignitary, an intimate of the king, declined an offer of a cup of wine because he had been to Mecca. The king then amused himself by splashing his teetotaling official with a toss of the royal libation.
During celebrations and official functions, they filled jeweled or ornate decanters with wine in the waiting room. The Russian ambassador was denied a drink, which aroused Chardin's curiosity. They told the Frenchman that on a previous occasion, while awaiting the king, the Russian imbibed so abundantly that by the the time the king arrived he was inebriated. Very, very drunk.
With the king finally before him, he was on the verge of vomiting. There were no other means to maintain his dignity, so he removed his hat and propelled his discontent into his hat. Apparently forgetting what he had done, he replaced his hat, only to be covered in his own refuse.
As for the king, he laughed prodigiously.
そろそろ忘年会の季節がやってきますね。駅周辺でもロバタ焼きや鍋料理店で、酔っ払った団体さんが見えてきますね。そこになくてもならないものがあります。それは、ビール、焼酎、日本酒、ワイン日本。
古代からペルシャでもワインなくして王様の宴会が始まりませんでした。正倉院にもあるように、酔っ払ったペルシャの王様のお面が有名です。
15世紀には、ワイン好きの面白い出来事が残っています。
1671年にフランスの宝石商であったジャン・シャルダンがペルシャへ行ったときの記録を残しているのです。彼が執筆した「ペルシャ紀行」は15世紀のペルシャの生活様式を知る数少ない資料として歴史学者がよく引用します。
シャルダンがフランスから地中海を通り、船でコンスタンチノープル(イスタンブール)へ、黒海を抜け、東岸のグルジアで船を降り、馬で雪山を超えペルシャへ辿り着きました。
ワイン好きの王様に纏わるエピソードを紹介します。
ペルシャ紀行(459~461ページ)古代からペルシャでもワインなくして王様の宴会が始まりませんでした。正倉院にもあるように、酔っ払ったペルシャの王様のお面が有名です。
15世紀には、ワイン好きの面白い出来事が残っています。
1671年にフランスの宝石商であったジャン・シャルダンがペルシャへ行ったときの記録を残しているのです。彼が執筆した「ペルシャ紀行」は15世紀のペルシャの生活様式を知る数少ない資料として歴史学者がよく引用します。
シャルダンがフランスから地中海を通り、船でコンスタンチノープル(イスタンブール)へ、黒海を抜け、東岸のグルジアで船を降り、馬で雪山を超えペルシャへ辿り着きました。
ワイン好きの王様に纏わるエピソードを紹介します。
「大宰相がワインを進めるイランの王様に対してメッカへの洗礼を果たした身としてそれまで以上に教えに忠実に生きることを義務付けられておりますので、と言って、どうか飲酒の儀は御容赦くださいと断り続けた。それに対して王は一人宰相だけが頑として葡萄酒を飲もうとしないのを見て、始終暴言を吐いては苛めており、あるときなどは飲まないからと言って撲りつけたことさえあったぐらいだ。杯になみなみと注いだ葡萄酒を宰相の顔、頭、衣服に浴びせかけさせたり、酔いに任せて、王者にふさわしからぬこの種の嫌がらせをさんざんしていたのだ
上の文章を読まれ、まるで日本の忘年会で社長が部下に「お前も酒を飲めへんかったら一人前やないぞ」と言っている状況を思い浮かべませんか?
シャルダンの「ペルシャ紀行」の547ページの5行目からは、ペルシャ国王との謁見式がこのように書かれています。
「広間のいちばん奥の入口に向かい合う位置にいろんな葡萄酒の入った金色燦然たる大壜が50本も並んだテーブルがあった。これらの瓶には釉のかかったものもあれば宝石や真珠を
・・・・これ以上、盛大で豪勢で華やかなものは世界広しといえども見られまい。モスクア大公国大使だけには、彼の故国の火酒が注がれた。この大使に何故葡萄酒を注がないのだろうと不思議だった。何しろ回りでは国王をはじめ、居並ぶ高官のほとんどが盛んに葡萄酒を飲んでいたのである。
・・・・先代が催された謁見式で粗相をしたことがあったおんですよ、と付け加えた。私はすぐにどんなことが起こったのか聞かせてほしいと言った。次席大使の胃の腑はこんなお酒はとうていこなぜず、すぐ戻したくなってしまったのだが、どこ吐いたらよいか分からず被っていた大きな貂の帽子を脱ぐと、その半分ぐらいまでどっと戻してしまった。周知の通りモスクア公国人は山の高い大きな縁なし帽をかぶっている。上役にあたる首席大使と部下の秘書官の二人は、次席大使がペルシャ国王と並居る廷臣の面前で起こしたなんとも不様なこの失態に顔色を失い、叱りつけ肘でつついてどうにか退出させようとしたけども酔っ払った次席大使には二人の言いたいことが理解できず、自分が何をしているかも分からない。そのまま帽子をかぶったからたまらなかった。顔も衣服もたちまち汚物まみれになった。ペルシャ王、謁見の場に連なっていた人々がいっせいに笑い出し、半時間もそれが止まらなかった。」
ペルシャ母娘が読売テレビの「朝生ワイド」に出演
【放送日】2012年1月31日(火曜日) 「おしえて辛坊さん」でペルシャ音楽、料理と美術が紹介されました。 【よみうりテレビ放送株式会社】 10チャンネル
【撮影風景】これらの陶器コレクションは、古代ペルシャの生活用品です。大きな壺は7000年前の麦を保存する器で、なんと完全な形で出土された珍しいものです。たいていは、修理の後などが見かけられるが、艶がまだ残っている大らかな作品です。手前の雄羊の形をした陶器は、ワインを背中の突起から入れ、口から杯に注いでいました。その左側に横たわっているアンフォラは平和条約のときにワインを注ぎ双方が底から出てくるワインを飲み合いました。
番組の打ち合わせで我が家のペルシャ料理を振る舞ったとき、ディレクターは初めてのペルシャ料理だったそうです。
番組本番の日もテレビ撮影のためにペルシャ料理をディスプレーをし、撮影終了後にスタッフのみなさんと一緒に食べました。ディレクターは、「この間、奥さんにペルシャ料理がすっごく美味しいと話したら、『私も食べたい』といったんですよ。それで、あのぉ、今日はタッパーを持ってきたのですが、少しお料理をもらって帰ってもよろしいでしょうか」
タッパーを持参してくださるなんて、私としては、これに勝る褒め言葉はなく、作った甲斐がありました。
今のイランではお酒を飲まない、、と思っていましたが、イランにもお酒がらみの話題が沢山あったんですね。歴史の本ではこんなに面白い話出てこないから、これからもダリアさんのブログ楽しみにしています。それにしても写真の料理美味しそう。 食べてみたい。。。 一度食べて見たいんですが、何かいい方法ありませんか? 関西に住んでいます。
返信削除ダリアさんの記事を読みました。
返信削除ワイン片手に優雅なお姿でしたね。早速、記事を切り取りましたよ!
読者に対し、ペルシャ文化に興味を持たせる様な内容で、
とてもとても面白かったです。
実際に私も近く、図書館でペルシャやゾロアスター教の本を借りようと思っています。
やはり、抑圧されたルールは精神にひずみを生みますよね。
神様もそんな修行ばかりしている人間を見て、「もっと楽しく生きて!」と思っているのでは!?と思っています。
ぜひ、将来的にはペルシャ文化に書かれた本を出版して下さい!!
心待ちにしています♪
「灼熱や 政治の変わる 国にゐて」
返信削除(しゃくねつや せいじのかわる くににいて)
中東の政治と経済の変わり目を現地で ダリアさんご自身の目で確認できることは素晴らしいことだと思います。
今日は、素晴らしい音楽と素敵な美人母娘さんの演奏と説明に感動しました。又イランのお話がお聞きしたいです。密造ワイン造り方教室にも興味があります
返信削除ダリアのコメント「イスラム教はいわば外来文化。7,000年間、受け継がれたペルシャ文化の根幹は変わりません」は興味深いです。イスラム以前の歴史の長さを物語を語
返信削除ることは、共感を憶えます。
とうとう今年最後の月「師走」に成ってしまったね 出逢ってから一年 早いね… 寒くなってきたから ダリアさんの美味しいシチューが食べたいです
返信削除テレビ見ました。 しんぼうさんしゃべりすぎ、
返信削除もっとAnavian 親子の話聞きたかった。映像的にもその方が受けたと思います
ダリアさん
返信削除辛坊氏司会のTV番組見ましたよ。
お母さん元気そうでしたね。ダリアさんも相変わらず美しいお顔でしたよ。
料理に舌鼓うつ場面は、とっても美味しそうで楽しく拝見しました。
テレビ写りを意識せずボクらの知ってる普段のダリアさんとお母さんの姿に親しみと感動をおぼえました。しかもダリアさんはいつもの関西弁やし・「ちゃらんぽらん」がイランの言葉とほぼと同じ意味とか最近は美人は鼻が低いとか…あれ見てイランのこと好きになった日本人がかなり増えたと思います。めっちゃ良かった。ホンマ
返信削除先日ご馳走になった、おこげを見て、美味しかったなと思い出しました。
返信削除ザクロの煮込み料理以外に、リンゴを使った煮込み料理もあるんですね。果物を使った料理が色々あって、旅したいなと思いました。日本ではあまり料理に果物を使わないので印象に残りました。
寒い日が続いていますが、お変わりありませんか。
返信削除1月初旬、家内の書展の会場で薬師寺のアムリットで
お目にかかった松田です。
先日、読売テレビの「すまたん」を見ていましたら、
ダリアさんがお母さんと出ておられたので懐かしく、
興味深く拝見しました。
私も学校に勤めていますので、イランのことやペルシャ
文明などを紹介する機会がありましたら、また連絡を
させていただきたいと思っています。
その節はどうぞよろしくお願いいたします。
I shared your TV program o Facebook, good boyでしょ?
返信削除イランの情勢が不安定なとき、文化面でのPRはとても意味があると思います。核問題で微妙な時期、このまま世界から孤立しないで欲しいなというのが、正直な気持ちです。ダリアさんのご活躍は祖国のイメージに役立っていますね。またご活動、教えてください。テレビでもラジオでも岡山で放送されるものがあったら、見ますので!
返信削除TVで見てなんかそこにダリアさんがいるようで
返信削除勝手に会えた気になりました。
辛方さんはイランのことわかっていましたか?
返信削除辛坊さんがお話された内容につきまして、ダリアさんより情報提供があったのではと推察します。
返信削除チャラン・パランって、ええ加減という~。言葉は日本と同じ表現で、私は笑いました。
返信削除ハッピ-バレンタイン〓イランと日本の友好に頑張ってくださいね
返信削除